Renovation

第69回世界SF大会
開催期間:2011年8月17日~21日
開催場所:アメリカ合衆国ネバダ州リノ
公式サイト:http://www.renovationsf.org/

 
 
参加料金(2011年7月17日までの料金)
成人参加登録 US$195
ヤングアダルト(17~21歳)参加登録 US$100
子供(0~16歳)参加登録 US$75
サポーティング US$50
 
 


 
 
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エレン・アッシャー (Ellen Asher) ゲスト・オブ・オナー

エレン・アッシャーは、1973年以来、34年と3カ月にわたりサイエンスフィクション・ブッククラブ(Science Fiction Book Club:http://www.sfbc.com/)の編集者を務め、SF業界ではひとつの職業では最長在職期間を誇るジョン・W・キャンベルの記録を打ち破るという目標を達成。ただし、「会社の名前が新しく変わるまでに手持ちの名刺を全て使い切るという、もうひとつの夢は達成できませんでした」とアッシャーは笑う。他の多くの出版社同様、SFBCは過去25年間で何度も売られたり買われたりを繰り返してきたからだ。

大きな会社の一部となった時に怖いのは、同じ会社内にどのような部門が存在するか予測がつかないことだろう。「会社の一部にYes! Solutionsという名前の部門がありましたけど、配属されたのがそちらでなくて本当によかった。そんな事になっていたら自分で自分の喉を切った方がましですから」

在職期間が長いだけに、アッシャーは他の誰よりも多く、黄金期の作家を新しい世代のSF読者達に紹介してきた。SFBCの提供する古典と短編小説の要約をまとめた既刊書リストは大学生にも手の届く価格であり、多くの読者の役に立っている。

他の編集者とは違い、アッシャーは「仕事では、作家よりもエージェント等を主に相手にしていました」と話す。

「それでも、作家は誰でも気軽にランチに誘うことができました。いつも仲良くなれましたし、議論にはなっても個人的に悪感情を持つような事態にはなりませんでした」

作家相手にはあまり仕事をしなかったとは言いながらも、アッシャーが彼らの作家生命に大いに影響したのは間違いない。

「私が特に自負するのは多くの本を刊行しつづけた事ですね。冷静に数字を見れば絶版にすべきだった物も多いかもしれませんが…。トレーラー6台分も古い本を溜めていた事を社長に叱られた事もあります。結局一度に刊行できる本の数に制限をかけられたので、私はいつもセールやら何やらの案を考えていました。でも自分の好きな本を絶版にするのは辛かったんです。五巻からなるシリーズのうち、第二巻の売上が芳しくないからといってシリーズ全体を手放したくはないでしょう?」

もちろん、アッシャーは会社の奥でひっそり仕事をしていただけの販売マネージャーなどではない。彼女はThe Dragon Quintet、Vampire Sextet、The Fair Folk(世界幻想文学大賞のアンソロジー部門で受賞)、およびMasterpieces of Terror and the Supernatural等のオリジナルアンソロジーを刊行できた事も誇りに思っていると語る。

2001年にニューイングランドSF協会のE・E・スミス記念賞(スカイラーク賞)、そして2007年には世界幻想文学大賞の特別賞を受賞した後、ニューイングランドSF協会のフェローシップに所属。2009年4月には短いエッセイをエレン・ダトロウ編集のネビュラ賞ショーケース2009に寄稿し、本人自身も「作家」となる。同年8月、アッシャーは世界幻想文学大賞の生涯功労賞を獲得した。

アッシャーは過去数年間にわたり、いくつものワールドコンに参加している。

「最も楽しめたワールドコンは初めて参加したグラスゴー(1995年)でした。古いコンベンション・センターで開催され、ミーティングルームの間には布が張ってあるだけだったのでうるさかったです。でも全体が小さくまとまっていてそこら中で色々な人にバッタリ会ったりもしました。ワールドコンではああいうgemutlich(居心地の良い、くつろいだ)感を再現してもらいたいですね」

2007年6月にアッシャーはブッククラブを辞め、現在はたまにフリーランスで仕事を受ける以外は趣味を楽しんでいる。

「寝坊したり、クッキーを焼いたり(もちろん食べるのも込みで)、乗馬をしたり、SFに限らず色々な物を読んだりしています。『引退済み』という身分は本当に素晴らしいものですね」

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ティム・パワーズ (Charles N. Brown) ゲスト・オブ・オナー

ティム・パワーズは、1970年代初頭よりサイエンス・フィクションを書き続けている。1952年、ニューヨーク州バッファローに生まれ、50年以上を南カリフォルニアで暮らし、セレナとの結婚は30周年を超えた。On Stranger Tidesからアヌビスの門(The Anubis Gates)、The Drawing of the Darkまで、ティムはこうあるべきとも言えるすばらしい歴史を創造し続けてきた。リノベションRenovationのゲスト・オブ・オナーとして、多くのSFコンベンションに参加者、スピーカーとして関わってきたティムを迎えられることを光栄に思う。

ティムは幼い頃から歴史に深い造詣があり、時代や場所、ファンタジーに対する優れた感覚を自分の作品へ反映させてきた。ジェームズ・ブレイロック(James Blaylock)やK.W.ジーター(K. W. Jeter)とともに、スチームパンクという概念(ジュール・ベルヌやH.G.ウェルズを強調したようなもの)の発展に寄与した。評論家、熱心な歴史ファンとして、ジム・マン(Jim Mann)はこう見ている。

パワーズは、歴史の異なる側面に注目し、多くを語られることなく、ただ奇妙に感じられるような事柄を検証し、実際に起きた説得力のある「秘密の歴史」を編み出す驚くべき力を持っている。すばらしいのは、彼が既知の真実の歴史によって構成されているようにできるからというだけでなく、読者は読み進むにつれて、彼の作り出した超常現象を受け入れてしまうことである。そして、サイエンス・フィクションやファンタジーのファンは、センス・オブ・ワンダーやそれによって呼び起こされる感情について語る傾向がある。「パワーズは、むしろありきたりな歴史を取り上げ、そこに卓越したセンス・オブ・ワンダーの瞬間を折り重ねていくんだ。」

ティム・パワーズは、英文学でカリフォルニア大学フラートン校を1976年に卒業、同じ年に2冊の小説、The Skies DiscrownedとEpitaph in Rust(ともにLaser Booksより)を刊行している。

続いて、The Drawing of the Dark(Del Rey、1979年)、アヌビスの門(フィリップ・K・ディック記念賞、アポロ賞受賞作、Ace、1983年)、奇人宮の宴Dinner at Deviant's Palace(フィリップ・K・ディック記念賞受賞作、Ace、1985年)、幻影の航海On Stranger Tides(Ace、1987年)、石の夢The Stress of Her Regard(ミソピーイク賞受賞作、Ace, 1989年)、ローカス賞受賞作Last Call(世界幻想文学賞受賞作、Morrow、1992年)、Expiration Date(Tor、1996年)、Earthquake Weather(Tor、1997年)、Declare(世界幻想文学賞受賞作、Morow、2001年)、Three Days to Never(Morrow、2006年)を出版、短編集Strange Itineraries(Tachyon、2005年)も上梓している。

また、ティム・パワーズは、ミシガン州立大学で6回Clarion Science Fiction Writers' Workshopの教壇に立ち、長年にわたり、Writers of the Future Workshopで教鞭をとっている。

ティム・パワーズ ウェブサイト

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ボリス・ヴァレホ (Boris Vallejo) ゲスト・オブ・オナー

ペルーのリマで生まれ、ペルー国立美術大学を卒業した後1964年に米国に移住。

それ以来ファンタジー界で数多の作品を生み出したボリス・ヴァレホはCDジャケットのイメージ、ビデオボックスのイラスト、および映画のプロモーション等も手掛け、SF・ファンタジー業界ならすべての大手出版社から依頼を受けたことがあるといっても過言ではない。

オールドマスターへの敬意を感じさせるクラシックなタッチを残したヴァレホの油絵の技術は誰もが一目で認めるものであり、近代ファンタジー分野の画家にも高く評価されている。「大胆不敵」という意味においてはヴァレホの描く美女や怪物ほど華麗な技巧が凝らされた作品は他に類を見ない。 1994年にヴァレホはジュリー・ベルと結婚し、現在二人はペンシルバニア州のスタジオを拠点に画家として活躍している。

ボリス&ジュリーのホームページ

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チャールズ N.ブラウン (Charles N. Brown) ゲスト・オブ・オナー

追悼 1937-2009

2009年7月12日、リノベーションのゲスト・オブ・オーナーとして招待状を受け取ったわずか数週間後、チャールズ N.ブラウンは、就寝中、穏やかにその一生を終えた。彼の存在はその死後も存命中と変わらず掛け替えのないものであり、私たちは彼の栄誉をたたえ続けたいと思う。

チャールズ N.ブラウンがSFの分野に初めて関わったのは1940年代後半。彼が1968年に創刊し、ヒューゴー賞を29回も受賞した「ローカス・マガジン」の発行人兼編集長としてその名を知られている。彼はまた、「アシモフズ誌」の初代書評家であり、いくつかのSFアンソロジーの編集者であり、多くの雑誌や新聞への寄稿者でもある。「ローカス」を1968年に創刊、ヒューゴー賞の受賞回数は史上最多である。また、フリーランスのフィクション・エディターとして40年の間本の編集に携わり、彼の編集した書籍は数々の賞に輝いていた。ブラウンは、著述・編集部門のパネリストとして、ゲスト・オブ・オーナーとして、作家たちのセミナーのスピーカーとして、またいくつかの主要なSF作品賞の審査員として、世界各地の大規模なSFコンベンションから招待状の届く「常連」であり、広く世界中を旅してまわった。

ローカスウェブサイト

下のビデオは、2010年6月26日のサイエンス・フィクション博物館での「殿堂」入りセレモニーにおいて、グレッグ・ベアがチャールズ N.ブラウンについて語ったもの。

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